北区の神社『紀州神社』
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紀州神社
鎌倉時代後期、紀州熊野から来た鈴木重尚が豊島氏とはかり、 五十太郎神社を王子村に勧請したのがはじまりです。
地元の人々から「紀州さま」と呼ばれ、親しまれています。
言い伝えによると、現在の場所に移ったのは天正年間に豊島村と王子村との水争いが原因で、 豊島村の甚兵衛さんら村人によって、ご神体が豊島村の宮前(今の豊島6丁目)に移されたのですが、 王子村に近かったため「取り返されてはいけない」と、 村のはずれの同じく宮前(今の王子5丁目)と呼ばれていた場所へ移されました。 ところが村はずれの寂しい場所に移されてしまった紀州さまは、 村人の夢枕に立って「もっと賑やかなところへ行きたい」と告げました。 何人もの村人が同じ夢を見たので、相談して現在の豊島七丁目へ移されたのだそうです。
所在地 | 東京都北区豊島7-15-5 |
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連絡先 | 03-3919-0562 |
村社紀州神社は豊島の鎮守神で、小名中豊島の中央に鎮座し、祭神は五十猛命、大屋津姫命、抓津姫命の三柱である。武蔵風土記にはスサノヲノ命を加えている。本社は元享中紀州熊野の鈴木二郎左衛門重尚という者が王子村に来つて豊島氏と謀り、紀州名草郡五十太村の五十猛神社を勧請して、王子権現境内に創建したのであるが、天正年中王子村と豊島村と争論あつた際に、村内の小名宮の前の地へ引移し、次いで小名馬場へ移し、後今の社地へ移したものであると云はれている。いづれにしても紀州神社が、豊島氏と關聯のあつたものであることは疑のないことで、紀州三上の庄の地頭たりし有経から景村の時代(承久から建武の頃)を中心として、当時北豊島一帯にその勢力大なるものありし豊島氏が、紀州の神社を分祀して、これを尊信し守護神としたのであろう。武蔵風土記稿、神主鈴木権頭光景について記し、(中略)とあつて、天正年間王子より豊島村に移つた時の争いには鈴木氏が王子に移住している關係をもつていたものの如くである。江戸時代の狂歌師として知られている平秩東作二世は神官克村の俳号であると云う。境内二百二十九坪五勺。例祭は十月十八日である。
王子権現と云い、紀州神社と云い、船方神社といい、いづれも紀州熊野権現と關係がある点は注意すべきで、勿論平安朝末の熊野進行流行によつて祀られたものであろうが、豊島有経の紀州三上の庄の地頭であつたこととも深い關係のあるもののようである。(「北区史」より)
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